真夜中の内側

とうもろこしの味をイメージするとなぜか、夏を思い出す。

 

昭和終末期世代の夏休みはとうもろこしをかじる夏がキンチョーの夏と同意義なのかなと思ったりする。

 

昨今、NHKの受信料で盛り上がったり、盛り下がったり…。そんなやほーニュースがあったりする。

不払い金に対して罰金をという、正当性に対して疑念が浮かぶ。

 

さまざまなネット環境による動画配信に関する選択制は叫ばれなかったけれど、選択制への、自由度は増した。

 

そんな世界の荒波があり、個人の選択により、世界は広がった。

 

そんなさなか。国営放送を謳う、どこぞの放送局が来春からは受信料を無視し続ける世帯に対して、選択制はないにも関わらず、罰金を設けることが確定しておる。

 

観てもいないの、観たくもないのに(暴挙に対して)抗う術がない。

 

国民一律の受信料を平均される矛盾を誰が問うてくれるのか。

 

国民放送の一律化に対する反論は誰が問うてくれるのか。

 

そんな疑問を並べると。『左寄りの人間だ!』という、レッテルを貼られてしまう。

 

右や左は悪くなく、ネガティブになり得ないのに。なんだか、世界はそんな感じで。

 

苦しい時に苦しくて、幸せの在処は何処にありますかと?ただ、純粋にお伺いしたいだけなのに。誰かが『悪』にならないと、立ち回れない世界だ。

 

無関心なのに、過干渉な世界が蔓延しており、優しくない世界だ。